1.57ショック と ひのえうま(丙午)

 2010..15

                         

1.57ショックという言葉をご存知でしょうか?

平成元年、今から20年以上も前の噺ということになりますが、この年の合計特殊出生率は1.57丙午(ひのえうま)にあたる昭和41年(1966年)の出生率1.58を下回ったということで、少子化に悩んだ政府は「1.57ショック」というフレーズを用いて世の危機感をあおったのでした。

「育児をしない男を、父とは呼ばない」という厚生省が放った過激なキャッチ・コピーは一世を風靡したのですが、いつの間にか忘れ去られ、父親の育児参加はやや改善したとは言うものの、今でも極めて限定的というのが現実のようです。

 

出生率の低下と子どもの数の減少傾向に危機感を抱いた政府は、1994年のエンゼルプラン1999年の「新エンゼルプラン」、2004年の「子ども・子育て応援プラン」などの少子化対策を矢継ぎ早やに繰り出したものの効果はいまひとつ、2009年の合計特殊出生率は1.37、年間出生数も11月末までの集計値が約97万人で対前年比2%減という厳しい現実がそれを物語っています。

せめて「1.57」、この数字も今となっては遠い昔話となりました。

20年間一体なにをしていたのでしょうか。社会情勢や家族観、婚姻観など複雑な要因の影響を受ける問題なので対策が間違っていたとは言えないまでも、起死回生の少子化対策がなされてきたとは言いがたいと総括しても誤りではないようです。

ただ減るぺくして減ったという面が少なくないだけに、一方的に国のせいにしても話は始まりません。最近の4年間の合計特殊出生率は上昇に転じていたものの、0809年は1.37と逆戻り。

出生率は、出産期と位置づける1549歳の女性数で出生数を割ったもので、分母の女性数の減少と出生数減少が相殺されて出生率が横ばいになっているだけのことで、人口減少は相変わらずということになります。

 

では1.57ショックの元になった「丙午」とは一体なんでしょう?

中国の暦法でいう甲、乙、丙など十干(じっかん)と、子丑寅など十二支(じゅうにし)を組み合わせると60種のペア=干支ができることになります。高校野球で有名な甲子園球場は、1924年、甲(きのえ)子(ね)の年に造られたところからその名が由来しています。従って、甲子の年は60年に一度巡ってくることになり、1984年、甲子園球場は60周年を迎えました。

同様に、丙午(ひのえうま)も60年に一度訪れることになりますが、五行説では、この年には火災が多いとされ、またこの年生まれの女は夫を殺すという迷信もあって、わが国では、丙午の年に子どもを産むのを避ける風習があります、いえありました?

戦後も戦後の「昭和41年」の出生が落ち込んだのもこういった事情があるからなのです。

 

歌舞伎や浄瑠璃で有名な「八百屋お七」は、寺小姓との悲恋の果てに放火事件を起こし、天和3年(1683年)に16歳(満年齢で14歳)の若さで鈴ヶ森刑場において火刑に処されたという逸話の残っている女性です。お七も「丙午」生まれであったことから、丙午伝説が膨らんだといういきさつもなくはないようです。

火事はぼや程度であったという噺もありますが、火事は江戸の華とはいえ火付け盗賊改め長谷川平蔵の活躍がテレビで人気を博したように、火付けは死罪というのが幕府の建て前でした。

 次の丙午は2026ということになりますが、出生数は果たしてどうなるでしょうか?故事に関する人々の意識は別にして、「丙午」の影響が余り問題にならないくらいに子どもの数が減ってしまっているようにも思われるのですが。