東日本大震災から1年

東南海・南海・東海地震/首都直下型地震の恐怖! 地震の予知・予測は ?

                                                                     2012.3.13

忌まわしい東日本大震災から1年たった3月11日、各地で追悼の式典が開かれ、当日の各メディアは震災関連一色となりました。

 時間の経過と共に政府や海外の情報が明らかにされるにつれて、福島第一原発の被災直後の情況が当初の予測や説明とはかけ離れたものであったことが判明し、国民が正確な情報から隔絶されていた実態が白日の下にさらされる結果となりました。

 東日本大震災は、ことあるごとに阪神大震災と比較されるようです。

今回は津波による死者が大半を占めたのに対して、阪神大震災では建物の崩壊などによる圧死が多かったという違いがあることは度々触れられている相違点でしょう。

 政府の危機管理能力の不足と対応のまずさは両者に共通している汚点だとしても、両者の違いとして、阪神大震災では自衛隊の出動が遅れた点を挙げなければならないでしょう。

西宮の筆者の自宅周辺でも、倒壊家屋の内部に生存者が居るかもしれないのに何日も手付かずのまま放置され、時間だけが無駄に過ぎていったあの歯がゆさは昨日のことにように思い出されます。当時の村山内閣の思想が自衛隊出動を躊躇させたとも報道されましたが、伊丹駐屯の自衛隊の迅速な出動要請がなされていたならば、死者の数はもっと違ったものになっていたかも知れません。

村山元首相は「地震の事実は朝6時のNHKニュースで初めて知った、それまで一切官邸に連絡はなかった」と自身の回顧録で述べているそうで、何をかいわんや、これでは死者も浮かばれないという心境にならざるをえません。

11日のテレビ映像では、米軍のトモダチ作戦や自衛隊の活躍と勇気ある行動なども細部まで紹介され、感謝の気持ちと認識を新たにされた方々も少なくなかったことと思います。自衛隊・防衛問題に関する内閣府調査でも、自衛隊に「いい印象を持っている」と答えた人は91.7%と、前回2009年の調査比10.8?増であったことが明らかにされています。

また、近い将来に発生が予想される東南海・南海・東海地震首都直下型地震による被害や津波の想定に関する予測と解説報道が多かったのも当日の特色であったかと思います。

東日本大震災からあと、首都圏ではマグニチュード(M)3以上の地震頻度が震災前の約3倍に達するというように、日本列島の広い範囲で地震活動が活発化した事実が観測されているそうです。

3月7日、文科省の研究チームは、M7級の首都直下型地震の中でも最大の被害が想定される「東京湾北部地震」の最大震度を、従来の「6強」から「7」への見直しを公表。震源域のプレート境界に従来の想定より約10`浅い部分があることが文科省の特別研究で判明し、見直しが図られたそうです。

これに伴い、最悪のケースで死者1万1000人、経済的損失112兆円と予測された中央防災会議の従来の被害想定も、見直される方針だと伝えられています。

 「首都直下型地震」は、南関東において想定される18ヶ所の震源のどこかで起こるかも知れないM7級の地震(18パターン)の総称で、特定の一つの地震を指すのではないそうですが、いつどこで起こるのかよく分かっていないのが現実です。

プレート境界型の地震は想定規模より大きくなりやすく、M8の地震が起きる可能性すら想定されるそうです。ただ、再来が怖れられている「関東大震災」は相模トラフ沿いで起こることが分かっており、発生周期の関係から「今後100年は発生しそうもない」との見解が示されています。

 科学技術が進歩しても「地震の予知など不可能」と言い切る地震学者 も見られ、いつどこでどのような規模の地震が起こるか分からないと言われれば、国民の不安が高まるのも無理からぬことです。

地震予知の研究といえば聞こえはいいものの、今は地震の予知が可能かどうかの研究段階であるに過ぎず、研究予算を貰うために地震予知研究と言っているだけだ」 という阪神大震災当日のある高名な地震学者の声が耳から離れません。17年たった今も情況は余り変わっていないと言わざるをえないでしょう。

 縄文時代以降、三陸沿岸部は大津波にたびたび襲われ、明治以降だけでも3度の悲劇に見舞われています。

「海辺に住まず、高台に」というのは縄文時代からの知恵でもあったのですが、震災の悲劇は月日と共に風化し、便宜性が優先される結果、教訓がずっと活かし続けられることは少なかったようです。

地震予知が不可能とならば、巨大地震が起きた時にいかなる行動をとるべきか、身近な問題として想定し、訓練を積むしか救われる道は残されていないように思われます。