少子化のゆくえ D

− 迷走する少子化対策


 1.25。 05年の合計特殊出生率が、過去最低を記録したことによる衝撃波は、余りにも強すぎたようです。

 小泉首相も「少子化対策が今後の最重要課題」という認識を表明し、政府も7月にとりまとめが予定されている「骨太の方針」 (経済財政運営の基本方針)に向け、「少子化対策案」の最終調整に入っていると報道されています。

 ただ残念ながら、首相は従来から少子化問題に余り熱意があったとは言えず、今さら所信を表明されたとて、遅きに失したきらいがなきにしもあらずという処でしょう。

 出生率がこのまま推移するようならば、人口減少のスピードは更に加速することも予想され、年金をはじめとする社会保障制度の根幹が揺らぐことになりかねません。

 現在の年金制度は、出生率が1.3程度で下げ止まり、2050年には1.39まで回復するというシナリオを前提としています。

出生率や人口の将来推計は、国立社会保障・人口問題研究所(社人妍)が行っているものですが、いつも低めに外れることは以前から問題とされてきました。

数字の発表に政治の介入があるのではないかという疑惑がささやかれた時期さえありました。

社人妍の分析は、過去の出生率や人口の推移、社会現象や国民の規範意識・生活観など、膨大なファクターを基に総合的に行われていることを正当に評価する必要はあるでしょう。

社人妍の中位推計によれば、05年の合計特殊出生率は1.31となっていましたが、人口問題を専門とする民間の組織の殆どはこれより低い数字を予測してきました。 

これでは推計が「お手盛り」であったのではないかという謗り(そしり)を免れ(まぬがれ)ません。

しかし、社人妍を弁護するわけではありませんが、分析に資する情報量の多さや科学的手法を駆使しての推計の緻密さは、どの研究機関よりも優れたものがあり、政府の横槍に屈して、歪められた数字を公表しているのではあるまいと考えられます。

しかし、いつもきまって推計が外れているとなると、推計の基になる材料の何かを見逃しているとか、過小評価している部分がある筈です。

予測をあざ笑うかのごとき事態が深く静かに進行していると考えるのが妥当とも言えましょう。

 結婚しようとしない若者が増えたことや結婚年齢が高くなるといった非婚・晩婚化、育児と仕事の両立が難しいこと、子育ての経済的負担など、少子化の要因はさまざまに分析されており、このような解析に沿って少子化対策は講じられています。

 保育所の整備、児童手当の拡充、税制面での優遇措置、実効ある育児休業制度の推進をはじめとする企業努力など、考えうる手は全て打たれてはいるものの一向に出生率が上向く気配はありません。

最早、多額の予算を投入して対策を推進したとて、出生率が改善することはないでしょう。少子化の背景には、こういった対策が及ばない何かが潜んでいるとも言えます。

フランスなど諸外国で功を奏したメニューも、文化や社会環境の違いから、わが国でも同じような効果を生む可能性は極めて薄いものと考えられます。

国家や自治体の抱える膨大な債務。これはそのままわが子、そして次の世代の肩にかかっていくことになります。

わが国に漂う不透明感とか雇用の不安などの将来展望の暗さ、子どもをめぐる事件や事故の多発、格差や拝金主義が跋扈(ばっこ)する世相など、子どもを育てにくい世の中をまずどうするのか、正すべき所から手をつけないことには小手先の方策ではどうしようもない瀬戸際まで、わが国の少子化問題は追い詰められていると考えるべきではないでしょうか。

政府・与党や官僚の間では、少子化対策が効果を発揮することはないのではないかという認識が広まってきているようにも感じられます。

児童手当の拡充などが「バラマキ」ではないかという批判は、この辺りからも出ているようにも思われるのです。

少なくなった子どもをどう護り、どのような社会を築き上げていくか、人口減少の現実を見つめ直してその中でどう生きていくべきかを考え出す努力が求められるでしょう。

子どもの数を確保するという努力も大切なことですが、「数」よりも子どもの「質」をどのように高めるかに心をくだく時期に差しかかっている事は間違いないようです。


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