ワクチン・トラウマと予防接種行政

                                            09.10.14


新型インフルエンザは都市部を中心に流行が本格化し、定点あたり報告数が10人を超した場合に出される「注意報」が、北海道、福岡、沖縄、愛知の4道県で発令されています。最新の1週間(9月28日〜10月4日)に報告された集団感染も全国で5428件を数え、前週比1.7に増加したそうです。

また、10月8日には東京都内在住の5歳男児が、新型インフルエンザによる急性脳症で死亡したことが判明。これで国内の死亡者は22となりましたが、そのうち今回の男児症例は最年少ということになります。

 

従来から新型になるのではと危惧されていた「H5N1型」の方は、春先からのH1N1型流行によって忘れられた感が拭えません。

専門家の一部には、H5N1型の流行の可能性は少なくなったのではないかという見方もあるようですが、警戒を怠ってはならないでしょう。米バクスター・インターナショナルや英グラクソスミスクラインは、H5N1型に対するワクチン(細胞工学利用)の安全性や有効性を確かめる臨床試験を日本で開始すると発表しています。

日本のメーカーでも、北里研究所など各社がH5N1型ワクチン(有精卵使用の従来型)の治験を実施し、承認取得済みとの報道が見られます(10月5日、日経夕刊)。

H5N1型ワンチンについても海外メーカーの方が戦略は巧みな感があります。

 

新型ワクチンについては、接種費用も無料とする国が少なくないようです。フランスのように、各地の体育館などに接種センターを開設するとか、移動医療チームが学校や託児所を回るなどして対応する国もあるそうです(9/5、朝日新聞)。

今回のワクチン騒動のドタバタぶりをみていると、インフルエンザ以外のワクチン行政においても、わが国は「ワクチン後進国」の汚名を払拭できないでいます。

平成17年から事実上中断している日本脳炎ワクチンも、細胞培養法による新しく開発されたワクチンが本年2月に承認されたにもかかわらず、厚労省は「接種を積極的には勧奨しない」態度を変えようとはしていません。需要の見通しを誤って、ワクチンの輸入本数が少な過ぎたことも影響しているのでしょう。

低開発国ですら推進されているムンプス(おたふくかぜ)、みずぼうそう、Hib(インフルエンザ菌b型)ワクチンも未だ定期接種の対象とはなっていない現実をみると、果たして文明国と言えるのでしょうか。

 

このようなワクチン政策の後進性の背景には、「欧米と違い、日本はワクチン政策について、専門家や患者らを交えて定期的に検討、立案していくような仕組みがない。副作用が問題になったときに、国が責任をもって補償する態勢も乏しく、海外企業にとって日本の市場はリスクが大きい」という状況があるとし(前述の朝日新聞)、WHOの進藤医務官も「全般的に政府が積極的なワクチン推進政策をしていない」と指摘(同)。

米国には、ワクチンによって予防可能な疾患をいかに予防するかといった観点から、政府、厚生省、CDCなどに助言するACIPという権威のある組織がありますし、英国にはNIBSC(国立生物学的製剤研究所)MHRAJCVI、ドイツにもPEI(ポールエールリッヒ研究所)など、ACIPと同様、国の責任においてワクチン開発に積極的に関与し、臨床試験なども実施、審査する専門機関が設けられ、自国のワクチン戦略を練り上げています。

一方わが国においては、ワクチン政策を立案・推進していく国や厚労省の仕組みや姿勢に大いに問題があったことは厳然たる事実です。

さらに、政府、厚労省をはじめとして予防接種や予防医学の重要性を、国民に教育し啓発していくという取組みが殆どなかったということが、わが国の今日のワクチン戦略の立ち遅れにつながったことは否定できないでしょう。また、それを容認して積極的に軌道修正しようとしなかったわれわれ医療者にも大いなる責任があることは否めません。

 

このようにワクチン開発を担当する権威と責任を兼ね備えた組織を持たなかったという不幸はあるにしても、ワクチン禍をめぐる過去の裁判の判決にも、ワクチン戦略に対する熱意を削ぎかねないトラウマがあるように思われるのです。

中でも、平成4年12月の「予防接種禍・東京集団訴訟」の判決と、国側の上告断念ほど後の予防接種行政に影響を及ぼした訴訟はなく、政府はこれがトラウマとなって積極的なワクチン戦略を描けずにいるとも思われます。

国の上告断念は、「被害者救済という司法判断の大きな流れを謙虚に受け止めて」被害者に謝罪し、和解協議のテーブルにつくという画期的なものでした。その後、名古屋、大阪、福岡の高裁などで同様に争われていた集団訴訟にも多大な影響を与え、「予防接種行政の抜本的見直し」という新たな局面へと展開して行ったのです。

この東京高裁の判決では、行政の過失責任について、「予防接種は副作用の危険性があるのだから、国は可能な限り重大な事故が発生しないよう努める法的義務があり、法律に基づかない行政指導の形で各自治体などに実施させていた勧奨接種についても国に責任がある」と断じました。さらに、国は「接種率を上げることに施策の重点を置いて、副作用の問題については注意を払わず接種前の予診などに十分な注意を払わない体制を許容していた」と、予防接種のあり方を厳しく問うものでした。

病気の治療によって起こった副作用とは異なり、予防接種禍は、伝染病予防の目的で接種した健康な乳幼児に重大な健康被害が発生するという特有の問題があります。

この判決を契機に、予防接種によるどうしても避けられない健康被害を含め、制度全般の再検討が公衆衛生審議会に諮問され、その結果、個別接種への流れが促進されてその後の予防接種行政の変革へとつながりました。

 

ただ、この東京裁判の判決理由の中で、「予防接種によって重篤な後遺障害が発生した場合には、禁忌者を識別するために必要とされる予診が尽くされたが禁忌者に該当する事由を発見できなかったこと、被接種者が後遺障害を発生しやすい個人的要因を有していたこと等の事情が認められない限り、被接種者は禁忌者に該当していたものと推定される(最高裁91年4月19日第二小法廷判決)ところ、右の特段の事情が存在しない本件各被害者は全員、禁忌者に該当すると推定されるものであり、・・・・、現場の接種担当者が禁忌の識別を誤り被害児が禁忌者に該当するのにこれを接種したため生じたものと推認される」というくだりは、実際に接種を担当しているわれわれ医療者にはかなりの違和感が残ると言わざるを得ません。

 より一層のワクチンの品質改善を図って安全性を担保し、時間をかけて問診や予診を尽くした末に慎重に接種をしたとしても、残念なことに、完全に予防接種禍をゼロにすることが難しい現実も横たわっています。予防接種禍を最小限に抑え、ワクチンを受けようとする人々が安心して接種できるよう、予防接種のあり方とその思想を展開できる組織や機構を一刻も早く立ち上げる必要があるように思われます。