レバ刺禁止騒動 顛末記

予見可能性」 と 自己責任論のきわどさ

ふぐ汁や鯛もあるのに無分別 − 松尾芭蕉

                                                 2012.7.3

 1日から生レバを食べることが出来なくなって切歯扼腕されている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 身代わりの馬レバーや、レバ刺に似せた赤こんにゃくが人気を集めていると聞いては悲壮感が漂ってきます。ナマレバーの全面的禁止で業界の売り上げは400億円減とも囁かれています。

 客の願望と業界の反発は根強く、禁止されてもこそっと食べさせてくれる店があるかも知れません。闇にもぐることになるだけだと懸念する意見も少なくなかったからです。

 食品衛生法では提供禁止の基準が設けられており、違反すると2年以下の懲役または200万円以下の罰金となっているので、禁を犯してまで提供する店があるかどうか極めて疑問です。

厚労省の研究で、牛の肝臓内部からO157が見つかったことが内閣府・食品安全委員会の最終的見解の決め手になったようですが、厚労省が実施したパブリックコメント(意見公募)に寄せられた約1500件の声は「レバ刺は食文化だ」など、大半が規制に反対だったとのことです(6月13日、毎日新聞)。

自治体の調査でも、「食中毒のリスクがあっても食べる」との回答が目立ち(23..9、産経新聞)、専門家からは「危険に関する知識がないのに食習慣だけが定着」、生肉を食べた後に体調不良を訴えた経験を持ちながら「その後も生食を続けた人が400人中29人」、食中毒になる可能性を知らされた上で「今後も生食を続ける」という人が1000人中669人」もあったと報告されています(同)。

街の声やテレビのコメントでも、現物を見て危ないかどうか自分で見極めたらよいとする自己責任論を展開する人が少なくないようですが、臭いをかいだり、菌が含まれているかどうかナマ肝の外観を見て分かるくらいなら苦労はないと言わざるをえません。 

今回の騒動に触れるたびに、ある「フグ」中毒事件を思い出します。

フグの骨は4000年も前の縄文時代の遺跡からも見つかっており、古来、日本人の食生活、いや、食文化と切っても切り離せない食べ物の一つと言えるでしょう。

ただフグ毒にあたって落命する者が後を絶たず、既に室町時代には「河豚食禁止令」が、更に、慶長の役に際し朝鮮出兵のために下関に集まった兵士が、フグにあたって中毒死する事態が頻発するのを憂慮した豊臣秀吉禁令を公布したという有名な史実が残されています。

江戸時代に入っても、武士や町人がふぐ毒に当たって死ぬケースが後を絶たないことから、江戸幕府もたびたび「フグ禁止令」を出し、フグを食して死んだ場合は「家禄没収」の重罪に処した藩もあったのだそうです。

冒頭の「ふぐ汁や鯛もあるのに無分別」は 松尾芭蕉の有名な句ですが、「あらなんともなやきのふは過ぎてふくと汁」 もフグ好きなら大概は心得ている芭蕉の作。与謝野蕪村も「ふく汁の我活キている寝覚哉」、小林一茶は「河豚食わぬ奴には見せな不二の山」 と詠んだように、いかにフグが庶民に親しまれていたかが分かろうというものです。

明治27年、時の総理大臣・伊藤博文が下関の料亭「春帆楼」でフグを味わってその美味に魅せられ、禁止しておく手はないということで解禁にしたというのは有名な逸話です。

フグ中毒といえば、昭和50(1975) に京都で起こった有名な(?)事件 を思い浮かべます。この事件をきっかけに各県のフグ取扱条例が強化されることにもなるのです。

歌舞伎役者・坂東三津五郎さんが、京都南座の正月興業がはねた後に近くの料理屋で食べたフグ肝にあたり、翌朝、不幸にして呼吸筋マヒを起こして亡くなられたのです。

気味悪がってキモを口にしなかった同伴者の分も含めて4人分も食べたというのです。

 当時フグの肝の扱いについては県の条例はマチマチであったようですが、少なくとも京都府では「フグ取扱条例」で禁止されてしましたから、条例違反ということになります。

この事件は裁判沙汰に発展して最高裁までもつれた結果、調理人は業務上過失致死罪に問われて禁固4月、執行猶予2年の判決と、遺族への2600万円の和解金を負担する羽目になったのです。

 大阪高裁の判決では、「ふぐ処理士資格をもつ被告人には本件とらふぐの肝料理を提供することによって客がふぐ中毒症状を起こすことにつき予見可能性があった旨判断したのは相当」と原判決を支持、この予見可能性という点が重要なキーワードとなります。

 本判例は、「予見可能性」の程度を「危惧感」でよいとする立場と、「ある程度高度の」予見可能性を必要とする立場の学説上の対立構造に複雑な論議を呼ぶことになるのです。   −(「予見可能性の程度―坂東三津五郎フグ中毒死事件」― 横瀬浩司)

 フグはテトロドトキシンという致死量1r(青酸カリの約500倍)の毒をもっているのですが、毒キモの致死量は約20グラム。体のどの部分に毒が存在するかの分布はフグの種類や季節によっても異なっています。さらに、とらふぐでも肝に致死量の毒を貯めこんでいるのは約36%という事実が「マア安全」という調理人の感覚に結びつきやすく、噺がややこしくなる背景にあるようです。しかし、このあたりの知識を熟知していることがフグ調理師免許を取るに当たって最も必要なポイントであるのは言うまでもありません。

 大阪ではフグのことを「テッポウ」と呼んでいますが、当たれば命をなくすからとも、また、滅多に当たらないからとも、その語源は定まりません。

本件では「フグに当たるのは稀である」という体験的事実をもとに調理人はフグ肝を提供したようですが、「この事実で予見可能性を否定する根拠とはならない」というのが最高裁の判示だったようです。

 このフグ毒性の個体差はベテランの調理師といえども識別不可能であり(最高裁の判示)、見ただけで判断せよというのは、当然のことながら牛レバ刺に食中毒菌が含まれているかどうかにも当てはまるといわざるを得ません。

どこの県とは言いませんが、現在でも、毒消し技術を誇って天然フグのナマ肝を賞味させてくれる店があることも事実ですから、牛の生レバ刺を出す店が続々という可能性も・・・?